短歌同人「ポストシェアハウス」

青松輝と鈴木えてによる短歌同人「ポストシェアハウス」のブログ。

ポストシェアハウス第1号一首評(1) スクランブル交差点右上へ行く人間たちの裏地はピンク 安錠ほとり

スクランブル交差点右上へ行く人間たちの裏地はピンク 

/安錠ほとり「るるるメ」

 

 ポップ、という第一印象の歌である。「スクランブル交差点」と「ピンク」というカタカナで挟まれた作りをしているところ、そしてピンクという語感からの印象だろう。スクランブル交差点とは渋谷の巨大スクランブル交差点のことだろうか。まあスクランブル交差点はたいがい大きくて人がたくさんいるものなのでどれでもいいのかもしれないが、雑多な街にピンクは似合う。

 ピンクにもいろいろあるが、ここで想定しているのは濃く少し濁った強めのピンクである。なぜかというと、それは人間たちの裏地、すなわち人間の皮膚を表としたときに内蔵に当たる部分の色だからだ。それは血液に近い色だろう。

 単純化すれば人体はちくわである、というのが人間ちくわ理論だ。つまり、人間の体は口から肛門まで一本の穴が空いた物体だということである。これを下敷きにすると「人間たちの裏地」が捉えやすい。ちくわの裏地を強いて指すなら穴の内側部分の表面のことであろうし、それを人体に敷衍するなら人体の裏地は消化管である。

 作品に戻ろう。「右上」という表現から、語り手の視点はスクランブル交差点を俯瞰する位置にあることが把握される。ここから読みは視点が交差点を見下ろす高い建物の上にあるか、または上空から見下ろしているかに分かれる。後者であれば語り手は人ならざるもの、そうすると「人間たち」という突き放した把握も納得である。

 と言いたいところであるが、今回は前者の読みを採用したい。連作中に人間を超えた存在をほかに示唆する歌はなく、全体として都会を生きる一人の人間のアイロニを感じさせるためである。とすると、人間である語り手は同じ人間を見て「人間たち」と自分と切り離した呼び方をし、さらにその内臓の色に思いを馳せる。このある意味意地の悪さが「ピンク」という(赤ではなく)かわいらしさによってバランスを取られているところにこの歌のよさがあり、それによって単なるニヒリズムを超えた視点を獲得している。

 

評:鈴木えて